看護覚え書の要点を大まかにまとめると、「病気というのは回復過程であり、その回復を阻害しないために、新鮮な空気・陽光・暖かさ・静かさ・清潔さ・食事の規則正しさ・食事の世話を欠かさないようにし、患者の生命力の消耗を最小限にするよう整えるべきである」
といううものです。この本が書かれたのは、1860年で今から150年も以前のことであるため、単純に今の臨床現場と比較することはできないが、最初の私が感じたのは、臨床での看護は、ナイチンゲールが理想としていたものとは遠く離れているのではないかということでした。
たしかに、現在病室や病棟には最新の空気清浄機が備え付けられ、日照などもある程度考慮され、空調設備なども整えられ食事環境なども、当時と比較すれば格段に向上しています。しかし、現在の看護現場は、「職業」として看護師を選んでいる人が非常に多いのではないかと感じます。ナイチンゲールはこの本を書いたころは、看護師という資格もなく、世の中の女性に対して書かれているため、単純に比べることはできませんが、現在の患者よりも業務が優先されがちな状況をナイチンゲールがもし見たとしたらおそらく落胆するのではないでしょうか。
現在私は、療養病棟で看護助手として勤務していますが、「理想」と「現実」の差に日々悩まされています。一例で言うと、オムツの患者さんからのトイレでの排泄の訴え等がそれにあたります。自分自身で立位になることが出来、トイレへの移動が可能ならば良いのですが、一人では出来ず、介助者が2名必要となる患者さんから訴えがあった場合、日中の人数が多い時間帯であればその要望に積極的にこたえることが出来るが、夜間の人数が少くない時には要望にこたえてあげたくても、答えることができません。他にも、離床することが出来ず、ベッド上で寝たきりの患者さんが、家族などもあまりお見舞に来ず寂しくなると、些細なことで長話をしたり、引き止めようとしたりする場合、少しでも会話をして気持ちを落ち着かせてあげるべきだと思うのですが、そうすると他のスタッフに業務を任せることになり、負担をかけてしまうこととなるためあまり付き合ってあげることができなかったりと、看護覚え書に書かれてあった、『病人には「会話」で気持ちを楽しくさせ、「回復」のためにできるだけ心の不安をなくするような言葉かけが必要」』という言葉通りにはなかなか実践できないケースも多々あります。不眠の訴えなどが聞かれた場合も、本来であれば基礎看護技術として教わった、清拭や足浴などのケアを行いリラックスを促すことができるであろう場合でも、人手不足などのため実際は行えない場合もあります。
現在、まったく別の業種から医療の世界に転職をし、一年半がたちましたが、「現実」の部分しか見ずにすごしてきて、自分は看護師に向いていないのではないかと葛藤することも多々ありました。病棟での勤務は患者よりも業務を優先させなければいけないのであれば、看護師になるのではなく、ケアハウスなどで介護士になったほうが良かったのではと考えることもしばしばありました。しかし、この看護覚え書の中で、私自身が「理想」として描いていた看護の姿がナイチンゲールによって示されていました。
おそらくナイチンゲールがこの本を書いた時代にも同様の葛藤はあったのではないかと思います。そんな中、少しでも看護を行うものの考え方が変わるよう、この本を残したのではないかと私は考えています。今はまだ、私自身には現状を変える知識も経験も技術もありません。しかし、この本を読んだときに感じた気持ち、葛藤を忘れず、少しでも患者さんのために出来ることを実行し、また自分自身が行動することで、周りのスタッフの気持ちを動かすことが出来るような看護師を目指し、努力したいと思います。